【ドゥカティ】デスモドロミック生みの親「ファビオ・タリオーニ」生誕より100周年を迎える(動画あり)

掲載日: 2020年09月14日(月) 更新日: 2020年09月14日(月)
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この記事は2020年9月14日当時の情報に基づいて制作されています。

ドゥカティの代名詞でもあるバルブ駆動システム「デスモドロミック」の生みの親である「ファビオ・タリオーニ」氏の生誕100周年を迎えるにあたり、前日となる2020年9月9日(水)に氏の故郷であるルーゴ・ディ・ロマーニャ(イタリア)で追悼式が行われた。

この式にはドゥカティ・ミュージアム館長のリビオ・ローディのほか、著名人などが参加し彼の偉業を称えた。また、現在ドゥカティの公式サイト及び YouTube チャンネルでは、ショートムービー「Fabio Taglioni – A Life of Passion」が公開されている。

ドゥカティ、天才エンジニア、ファビオ・タリオーニの生誕100周年を祝う

・デスモドロミック・システムの「父」であり、数多くの革新的なモーターサイクルを設計したタリオーニは、1954年から1984年までドゥカティに在籍
・タリオーニの故郷であるルーゴ・ディ・ロマーニャでは、この天才エンジニアに敬意を表するイベントを開催
・ドゥカティ公式ウェブサイトとYouTubeチャンネルでは、タリオーニの人生を紹介するショートビデオ・シリーズ、「Fabio Taglioni – A Life of Passion」を視聴可能

2020年9月10日 ボルゴパニガーレ(イタリア、ボローニャ)

【ドゥカティ】デスモドロミック生みの親「ファビオ・タリオーニ」生誕より100周年を迎える メイン

本日、ドゥカティとともに数多くの革新的なモーターサイクルを設計し、この世に送り出してきたイタリアの天才エンジニア、ファビオ・タリオーニが生誕100周年の記念すべき日を迎えました。彼の功績の中でも際立っているのは、デスモドロミックと呼ばれるバルブ駆動システムをモーターサイクルのエンジンに採用した点です。現在、このテクノロジーはドゥカティの代名詞となっており、同社のサクセスストーリーに大きな貢献を果たしてきました。

1920年9月10日にサン・ロレンツォ・ディ・ルーゴに生まれたタリオーニは、機械工学を学んで1943年に大学を卒業し、1954年5月1日にテクニカル・ディレクターとしてドゥカティに入社しました。この日から、ドゥカティとタリオーニによる伝説的な快進撃が始まりました。彼は、革新的なプロジェクト、アイデア、特許をモーターサイクルの世界へと導入しました。ドゥカティに入社してからわずか40日後に、タリオーニは最初の名車、Gran Sport 100を製作しました。「マリアンナ」という名称で知られるこのモーターサイクルは、発売後すぐにイタリアの長距離ロードレース「Italian Gran Fondo」で圧倒的な強さを示しました。

Gran Sport 100および125の成功を受け、ルーゴ出身のエンジニア、タリオーニはレーシングバイクの製作に専念し、デスモドロミック・バルブ駆動システムによる野心的なプロジェクトに取り組みます。それまで、「デスモ」のメカニズム自体は知られていたものの、世界の名だたるエンジニアがその実用化に失敗していました。しかし、タリオーニは、決してあきらめることなく、この技術を粘り強く研究し、完成させて、勝利の方程式を生み出したのです。デスモドロミック・システムを搭載した最初のモーターサイクル、125 GP Desmo は、デビューからわずか1か月後に最初のグランプリ・レースで優勝し、125ccとしては世界最速のタイムを記録しました。

【ドゥカティ】デスモドロミック生みの親「ファビオ・タリオーニ」生誕より100周年を迎える 記事1

その後の数年間、タリオーニはドゥカティの事業再生に積極的に乗り出し、175 Gran Turismo やドゥカティスクランブラーといったプロジェクトに取り組みました。これにより、彼が生み出すモーターサイクルは、スピードだけでなく、信頼性や耐久性にも優れていることを証明して見せました。

彼の功績により、ドゥカティは国際的なブランドへと認知度を高めました。その後、タリオーニは、再びレーシングバイクの新しいプロジェクトに専念し、1971年には500 GPを、1972年には750 GTをデビューさせました。これらのモーターサイクルは、ドゥカティ史上初の90°L型2気筒エンジンを搭載していました。750 Imola(GTから派生した生産型バイク)は、イモラ200マイルレースでデビューし、記録的なタイムで優勝します。詰めかけた85,000人の大観衆の前で、ポール・スマートとブルーノ・スパッジアーリがフィニッシュラインを通過し、モーターサイクル史に残る偉業が達成されました。タリオーニは、現役時代の最後までモータースポーツ分野における革新的なプロジェクトの研究を続け、Pantah 500や750 F1といったモーターサイクルを生み出しました。

ファビオ・タリオーニの人生と輝かしいキャリアを祝福し、彼の故郷であるルーゴ・ディ・ロマーニャのパヴァリオーネ広場では、9月9日の夜に彼の偉業を偲ぶ追悼式が行われました。ロマーニャの自治体が後援するこのイベントには、ドゥカティ・ミュージアム館長のリビオ・ローディが参列し、タリオーニとドゥカティのコラボレーションが生み出した栄光の歴史の重要な場面を回想しました。夕方には、市長のダビデ・ラナーリ、エミリア・ロマーニャ地域の観光カウンセラーを務めるアンドレア・コルシーニ、作家のルイジ・リヴォラ、著名なイタリア人コメディアンのジュゼッペ・ジャコバッツィをはじめとする、数多くの人々が集まりました。ジャコバッツィは、独特の語り口で、1972年のイモラ200マイルで優勝した、ドゥカティとタリオーニの歴史的な偉業について語りました。

ショートビデオ・シリーズ、「Fabio Taglioni – A Life of Passion」は、ドゥカティ公式ウェブサイトとYouTubeチャンネルで視聴することができます。これらのエピソードは、独自の画像と映像によって、ロマーニャで生まれたこの天才エンジニアの人生を紹介しています。

リリース

ドゥカティジャパン株式会社(2020年9月12日発行)

(バイクブロス・マガジンズ編集部)

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