海野亮治 = 文/磯部孝夫 = 写真/取材協力=SHOEI
ノリックこと阿部典史が不慮の事故で他界してから一年が経った。天才の名をほしいままにしたライダーですら、一般道での事故であっけなく命を落としてしまう現実を前にして、何を感じ、考え、行動していくべきなのか。彼は我々に大きな宿題を残した。
彼が世間を騒がせはじめたのは1993年。アメリカ帰りの18歳は全日本選手権にフル参戦し、500ccクラスチャンピオンを獲得する。そして翌94年、鈴鹿サーキットで行われた世界選手権の開幕戦。彼の念願だった世界デビューのレースで、周囲は驚愕の現場を目撃することになる。惜しくも残り3周で転倒を喫したものの、世界的には無名のライダーがケビン・シュワンツやマイケル・ドゥーハンといったトップライダーと熾烈な争いを繰り広げたのだ。センセーショナルな世界デビュー戦でのアグレッシブなライディングは、多くのライダーとファンのハートを掴んだ。現世界チャンピオンのバレンティーノ・ロッシが、過去のインタビューでこう話している。
「子供の頃、毎朝ノリックのビデオを見ていたんだ。ノリックが転ぶまで見てから、学校へ向かっていたよ」
全日本に戻ってきてからもノリックは、それまで以上にバイクについて自分が貢献できることがないか探りながら行動していた。日本のために何ができるのか…と。そんな矢先の事故だった。
星と羽。ノリックはその二つを好んでヘルメットに描いた。星は高く輝くため。羽は北米での修行時代を忘れないよう、かの地の先住民の羽飾りをイメージしたものだという。彼が世界に衝撃を与えた1994年も、ヘルメットには星と羽が描かれていた。
彼をスポンサードしていたSHOEIは、彼が1994年の世界戦デビューで着用していたヘルメットのレプリカモデルを制作、限定販売する。彼が残した功績と足跡、そして宿題を忘れないために――。
X-ELEVEN Norick94 阿倍典史レプリカ
サイズ:S、M、L、XL
カラー:TC-6(White / Black)
価格:6万8250円
(※12月19日受注締め切り、09年3月生産発売予定)
オートバイの未来を真剣に考えていたノリックは、若手ライダーの育成にも力を注ぎ、自ら先生役として多くのライダーと接していた。Norick94の収益金の一部は“チームノリック・ジュニア”への支援金としても活用される。