リリース = 株式会社ウィック・ビジュアル・ビュ-ロウ
1980年500ccにフル参戦し、ルーキーながらも2勝を挙げケニー・ロバーツに次ぐランキングも2位となった。80年2勝、84年3勝そして87年の3勝と、4回もランキング2位につけながらもタイトル獲得はならず“無冠の帝王”の異名を持った。外側のステップから足を外す独特なライディングから“マモラ乗り”と呼ばれ、雨のレースでは誰よりも速く走り抜けた。頻繁にウィリーを行い、カジバに移籍してからはリアタイヤから白煙を出しながらカウンター走行を見せるなどのパフーマンスで世界中に根強いファンを持っていた。
<収録レース>
1990年収録の本人のインタビュー
1982年
W.G.P.500cc スズキ時代 イギリス/ドニントンパーク
1984年
W.G.P.500cc ホンダ時代 ダッチTT・イギリスGP・サンマリノGP
1985年
W.G.P.500cc ホンダ時代 サンマリノGP
1986年
W.G.P.500cc ヤマハ時代 ベルギーGP
1987年
W.G.P.500cc ヤマハ時代 日本GP・ドイツGP・イタリアGP・ダッチTT・フランスGP・サンマリノGP
1988年
W.G.P.500cc カジバ時代 日本GP・ダッチTT・ベルギーGP・ブラジルGP
1990年
W.G.P.500cc イギリスGP・ベルギーGP・ハンガリーGP
■コメンテーター/リチャード・ニコルズ
■インタビュアー/ブライアン・クライスキー