決勝レポート/パイクスピークに挑む日本人ライダーたち

掲載日: 2016年06月28日(火) 更新日: 2016年06月28日(火)
この記事は 2016年6月28日に書かれたもので、内容が古い可能性があります。

取材・写真・文 = 山下 剛

Pikes Peak International Hill Climb 2016
誰よりも早く雲の上のゴールへ
日本人ライダーたちそれぞれの決勝

「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」(以下PPIHC)、2016年の決勝レースは、未明に降った雨と雪が山頂付近に積もったため、およそ40分遅れてのスタートとなった。

レースは二輪クラスからスタートし、先陣を切ったのは電気バイククラスだった。予選をクラス2位で通過していた「KOMATTI EVT」岸本ヨシヒロ選手は2番手の出走だ。

「最初だとプレッシャーもあるが、2番手ならそんなことはない」

と話した岸本選手だったが、スタートしたばかりのコースはまだ路面温度が低く、コース中盤あたりからグリップが極端に落ちたという。

「雨が降った影響でコースに浮き砂が多く、コーナーもストレートも滑りやすかったですね。スロットルワークを慎重にしながらもタイムを詰める走りを続けてました」

ところがゴール直下まで来ると路面はウェットになっており、とくに最終コーナーのヘアピンカーブは路肩から流れでた水流がコースを横断していた。

「さすがにマシンを寝かせられなくて、転倒しないことだけを考えてゆっくり慎重に抜けました」

そして見事にチェッカーを受けた岸本選手。タイムは11分10秒480でクラス2位を獲得した。昨年は10分台にのせる好タイムを記録しており、目標としていた自己ベスト更新はならなかった。

「マシン製作期間も短かったこともありますが、4ヶ国合同チームとしてやれるだけのことはやった結果には満足しています。タイムについては悔しさもありますが、コースコンディションもよくなかったしマシンも違います。一概に昨年と比較できないですしね」

そうはいうものの、クラス2位という結果は、マシンの完成度の高さもさることながら、PPIHCの挑戦3回目だけあって岸本選手のコース習熟が進んだことによる影響は見逃せない。来年のPPIHCへの参戦は未定とのことだが、さらに新たなマシンによるクラス優勝、記録更新に期待したい。


岸本ヨシヒロ選手

サイドカーの渡辺正人選手・大関政広選手は、エンジントラブルのため4回の練習走行のうち1回しか走行できないという不運に見舞われた。つまりぶっつけ本番となってしまったわけだが、

「もう行くしかないですよね」

という渡辺選手の言葉はそのまま走りに表れた。3分割されたコースのうち、ボトムは2本走ることができたが、ミドルとアッパーはこれが初走行。自家用車による下見はしているものの、2車線をフルに使った走行はしていない。つまりレーシングラインはまったくの未知のまま決勝を走らざるを得なかった。

「ミドル以降はボロボロでした。路面が補修された場所も多かったですし、路面のギャップも昨年とはまったく状況が違っていて、去年は問題なかったラインが今年はギャップが激しくて、マシンが浮きまくってました。パッセンジャーが大関さんじゃなかったら落ちていたかもしれないですね(苦笑)」

いっぽうの大関選手も、2014年にPPIHCを走った経験を持っているし、下見走行もさんざん行っているが、ぶっつけ本番の決勝レースはそうとうタフだったようだ。

「コーナーを読み間違えた場所もありましたし、ギャップで体が浮いてしまって、グリップを掴む右手だけでマシンと繋がっていた瞬間も多かったです。でもパイクスらしいおもしろさを感じられましたし、タイムは目標には届かなかったもののレースは楽しかったですね」

決勝タイムは11分38秒472。昨年は悪天候のためコース中盤がゴールとなるレースだっただけに、2年ぶりの山頂ゴールを味わった渡辺選手は格別の思いを感じていたようだった。

そんな渡辺選手だが、サイドカーによるPPIHCチャレンジは今年を最後と宣言しており、オフロード用クワッドを改造したオンロード用クワッドを製作し、来年のPPIHCに向けて準備をしている。渡辺選手の新たなチャレンジはファンならずとも注目したくなる独創性に満ちている。


渡辺正人選手・大関政広選手

ハスクバーナ・701スーパーモトでミドルウェイトクラスに参戦した伊丹孝裕選手は、他の選手の転倒によって出走順に狂いがあったものの、持ち前の冷静さを失わずにスタート。慎重さを念頭においた走りで見事に完走、チェッカーフラッグを受けた。タイムは11分25秒566で、クラス5位。目標としていた自己記録更新には遠く及ばなかった。

しかしこれには理由があった。実は2日前に行われた予選走行において伊丹選手はコースアウトによる転倒を喫していたのだが、この際に腹部を強打していた。しかしその痛みをおして決勝に臨んだのだが、スタート前に体調が悪化しており、通常なら走行をキャンセルするほどの状態になっていたのだった。

チェッカーを受けた伊丹選手は、ほうほうの体でライダーの休憩所に辿り着いてレーシングスーツを脱ぐと倒れ込み、救護所に担ぎ込まれて酸素吸入と麻酔を受けることになった。ヘリコプターによる緊急搬送も検討されたものの、結局はレース終了を待って救急車で病院へ搬送された。診断結果は腸閉塞で、治療が遅れれば生命の危機もあっただけに、まさしく危機一髪だった。

緊急病院に搬送された後に治療を受け、レース終了翌日には伊丹選手の体調は回復に向かい、予定通りに帰国の途についている。


伊丹孝裕選手

100周年となったPPIHC。二輪クラスの日本人チャレンジャーたちはそれぞれに課題を残しつつレースを終えたといえそうだ。渡辺選手が自ら製作したクワッドで挑戦する以外、他の選手たちの来年の動向は未定だ。しかし4年間、彼らのPPIHCチャレンジを追いかけてきた筆者としては、来年以降の彼らのチャレンジについ期待してしまう。機会があれば、渡辺選手の新たなチャレンジはこちらでレポートしていきたい。

(バイクブロス・マガジンズ編集部)

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