【 ドゥカティ 】 カルロス・チェカがレースから引退へ

掲載日: 2013年10月21日(月) 更新日: 2013年12月10日(火)
この記事は2013年10月21日当時の情報に基づいて制作されています。

リリース = ドゥカティジャパン株式会社

ドゥカティジャパンは、ドゥカティ1098Rで2011年にスーパーバイク世界選手権チャンピオンとなったカルロス・チェカが今シーズンでレースから引退することを発表した。なお、同氏はドゥカティの「アンバサダー」としてドゥカティ親善大使の活動を続けるとのこと。

以下リリースより
2013年10月20日

カルロス・チェカがレースからの引退を表明

・20年に渡ってレーサーとして成功を収めてきたスペイン人ライダーが、2013年シーズンの最終戦となるヘレスで引退を決意
・ドゥカティはチェカを「アンバサダー」に任命:チェカは、引き続きボルゴ・パニガーレを本拠地とするドゥカティの親善大使としての役割を担う
・ノーランは、20年の成功の歴史を刻んだ記念ヘルメットをチェカに進呈


2013年10月19日(土) ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ(スペイン)

2013年スーパーバイク世界選手権の最終戦が開催される前日の19日、2011年にドゥカティと共にワールドチャンピオンに輝いたカルロス・チェカがレースの世界から引退することを表明した。

この発表は、ドゥカティ・アルスタのホスピタリティに招待されたジャーナリスト、同僚、スポンサーや友人が見守る中、チェカ本人から行われた。会場では、カルロス・チェカの長年に渡るレースへの参戦や重要な貢献に対して、引退を惜しむ声や、暖かい感謝の気持ちが伝えられた。

カルロス・チェカの名前は、まさにオートバイ・レースと同義語であり、同時にドゥカティ・ブランドそのものでもあった。数日前に41歳の誕生日を迎えたばかりのカトロニア出身のチェカは、1993年にロードレース世界選手権250ccクラスに参戦して世界のレースシーンにデビューを果たした。その後の20年間で、ロードレース世界選手権500ccクラス、MotoGP、スーパーバイク世界選手権へ参戦。2005年にはドゥカティからMotoGPへ参戦、2010年にはスーパーバイク世界選手権へと戦いの場を移し、再びドゥカティのライダーに復帰した。ドゥカティへの復帰という、重要で意義深くポジティブな決断により、アルテア・レーシング・シームから参戦した2010年にはチャンピオンシップ3位、そして2011年にはワールド・タイトルを獲得する。

チェカは、先月インスタンブールで開催されたレースでのアクシデントにより、2013年シーズンの最終戦に出場できず、残念な形で彼のキャリアを終了することとなった。チェカにとって今年は困難なシーズンとなったものの、数々の成功や思い出、そして生涯の友人たちと共に、プロとして非常に充実したモータースポーツ人生に終止符を打つ。

彼の情熱とレースへのひたむきな姿勢は、今後も語り継がれることになるだろう。チェカの引退を受けて、ドゥカティはカルロス・チェカをアンバサダーに任命。今後も、非常に特別なドゥカティスタとして、ボルゴ・パニガーレを本拠地とするドゥカティと協力することになる。

レース参戦20周年を祝し、ヘルメット・メーカーのノーランは、彼の重要な戦歴を記した特別なグラフィックによる記念ヘルメットを製作。このヘルメットは、チェカが引退を表明した直後の午後に手渡され、彼の引退に花を添えた。

チェカに対する愛情と尊敬の念は、別の形でも表明されることとなった。ヘレス・サーキットでは、新たに開設されるミュージアム(2014年に一般公開予定)の「殿堂」コーナーに、SBK世界タイトルを獲得し、輝かしいキャリアを誇るカルロス・チェカの専用スペースを設けることを決定した。スペイン人ライダーで、SBKの世界タイトルを獲得したのは、現在に至るまでチェカただ1人である。

カルロス・チェカ:

「今年は、世界選手権のレースに参戦して20年になる。このように長いレース人生を送れたことを大変誇りに思っている。この間に所属したチームでは、数多くの特別な思い出を築き上げてきた。これまで、最高レベルのチームからレースに参戦し、ベストなマシンに乗り、素晴らしいライバルの中で勝利するという機会を得ることができた。私の目標は、つねに自分の限界を発見することだった。学習と成長を続け、より優れたライダー、そしてより良い人間になるために自分自身を注意深く見つめてきた。このような道のりや、大きなリスクを取ることなしに、ここまで到達することはできなかったと思う。リスクを取ることによって、大きな困難に直面したり、ライバルや自分の感情と戦いながら険しい道を乗り越え、2011年には最高のシーズンを迎えることができた。しかし、スポーツマンであれば、必ず通らなければならない引退という瞬間がやってくる。やるべき事はすべてやったと言う日だ。私にとって、それが今日ということだ。これは簡単な決断ではなかったが、長年に渡って深く考えてきたことでもある。私をレースの世界へと導いてくれた方々、特に新人の頃から私をサポートし、レーサーとしての道を歩み続けることができるよう、夢を実現するチャンスを与えてくれた、すべての関係者の皆様に感謝の意を表したいと思う。私はこれから、新たな道を歩き始める。それは、ドゥカティと私にとって、新しく刺激的なステップの始まりを意味している。新しい人生に慣れるには時間がかかるだろうが、必ず満足できる未来が訪れると確信している。私にとって決して忘れることのできない特別な日に集っていただいた、すべての皆様に改めてお礼を申し上げたい。」

アーネスト・マリネッリ:
「カルロスの下した結論は、非常に重要なものだった。カルロスは、何年のも間、私たちにとってキーとなる建設的な仕事をしてくれた。その何よりもの証拠が、2011年のワールド・タイトルの獲得である。私たちは、大きな目標を達成した。言うまでもないが、私たちは彼に非常に感謝している。彼に対する愛情や尊敬の念と共に、感謝の意を表したいと思う。私たちは、今後も彼との協力関係を継続するだろう。私たちは、ドゥカティのアンバサダーとして彼を迎えることを光栄に思っている。また、すべてのドゥカティスタにとっても嬉しいニュースだろう。これは、物語の終わりではなく、新たな章の始まりなのだ。」

フランシス・バッタ:
「カルロスの決断は、スーパーバイク世界選手権の主役の一人の新たな門出を意味している。彼の抜けた穴を埋めるのは容易ではないだろう。今年、私はカルロスのことをより良く知る機会を得ることができた。彼は、素晴らしい人間性を備え、あらゆる物事に全力で取り組む真のプロフェッショナルだ。今年、私たちはドゥカティと共に、新たな道を歩み始めた。スタートが遅れてしまったため、容易な道ではなかったが、カルロスが引退を決断しなければ、彼の貢献によって大きな成果を収めていたと私は確信している。スーパーバイクにとっては残念なことだが、カルロスがアンバサダーとしてドゥカティに留まってくれることを嬉しく思っている。今後の彼のさらなる活躍を祈っている。」

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(バイクブロス・マガジンズ編集部)

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