パイクスピーク・ヒルクライムに挑むサムライたち/渡辺正人(1)

掲載日: 2013年05月01日(水) 更新日: 2013年12月10日(火)
この記事は 2013年5月1日に書かれたもので、内容が古い可能性があります。

取材・写真・文=山下剛

アメリカ・コロラドで開催される「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」は、1916年にはじまった歴史ある公道レースで、標高2,800m地点をスタートし、4,300mの頂上を目指す。ガードレールがない区間も多く、ひとつ間違えれば崖下に真っ逆さま……という過酷なレースに今年、2人のサムライが挑む。

パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムへの参戦を控えた渡辺正人さん。同レースへサイドカーで参戦は日本人初の快挙だ。

パイクスピーク・ヒルクライムに挑むサムライたち
~サイドカードライバー・渡辺正人~

2007年、マン島TTに参戦して見事に決勝レースでの完走を果たした。パッセンジャーは吉田秀幸さん。(写真提供=ライジングサンレーシング)

なぜパイクスピークだったのか

サイドカードライバー・渡辺正人さんは、1999年にサイドカーレースにデビュー、2005年にはF1クラス全日本チャンピオンとなり、2008~2012年は5年連続でF2クラス全日本チャンピオンを獲得した実績を持つ、国内サイドカードライバーの第一人者だ。2007年にはあのマン島TTにも参戦し、見事にレースAとレースBを完走している。

そんな渡辺さんがこのたび、パイクスピークを挑戦の舞台に選んだ理由は何なのだろうか。

渡辺「ずっと以前から、マン島TTとパイクスピークには興味があったんです。マン島TT参戦は2007年に果たすことができましたが、パイクスピークのコースにはダート区間(未舗装路)がありますから、そのためにマシンを一から作らなくてはならず、なかなか実現できなかったんです。それでもマン島TTの後からずっと、いつかはパイクスピークを走るという目標を持っていたんです」

パイクスピーク・ヒルクライムは、その名のとおりパイクスピークと呼ばれる山の頂上を目指すレースで、そのルートはターマック(舗装路)とグラベル(未舗装路)が混在していた。そのため参戦車両は4輪ならラリーカーやバギー、2輪はオフロードマシンが常識だった。同時にパイクスピークの魅力は、ダート区間をドリフト走行しながら全力で駆け上がっていくマシンたちの迫力にもあった。

渡辺「年々舗装化が進んでいたのですが、昨年から全面舗装されたことを知り、これはチャンスが来たと思ったんです。さっそく現地へ下見に行って、レースのことをいろいろと調べました。主催者とも会って話をして、自分の経歴を知ってもらって参戦の内定をもらって帰国したんです」

渡辺さんの行動は素早い。可能性を見つけたら、すぐさまそれを確認しにいく。現地へ飛んだことによって主催者とのコネクションはもちろん、日本からパイクスピークに参戦している4輪ドライバーとも縁を作ることができ、参戦のための準備を着々と進めていった。

渡辺「舗装化されたことが大きな理由ですが、僕にとって今年は40代最後の年でもあるんです。このまま年をとってしまっていいのか? やり残したことはないのか? そう考えたときに、パイクスピークのことを思い出したんです」

渡辺さんは国内トップクラスのサイドカードライバーだが、日本にはそれを職業として生活できる基盤は残念ながらない。自ら経営する測量会社で日々の仕事をこなしながらサイドカードライバーを続けているから、練習もままならないし資金繰りの苦労もある。それでも挑戦するのはどうしてなのか。

渡辺「東日本大震災から2年が経ちましたが復興はまだまだだし、被災地以外に住んでる人たちにも元気がない。とくに若い人たちや僕と同世代の男性に元気がないように思えるんです。そんな今だからこそ、チャレンジ精神を持ち続けてほしいし、新しい目標に向かって挑戦することの素晴らしさを思い出してもらいたいという気持ちもあります。挑戦することは楽しいこともありますが、困難もつらさもあります。そんな裏側も含めて、多くの人たちに挑戦する意義を伝えたいですね」

マン島TT参戦の経歴を買われ、三宅島復興のためのイベント「三宅島モーターサイクルフェスティバル」にも参加。2回目以降は運営スタッフとしても尽力した。(撮影=海野亮治)

●次回は「パイクスピークに向けての準備」をお届けします

■関連リンク
Pikes Peak International Hill Climb
渡辺正人応援サイト
パイクスピークサイドカーチャレンジブログ

(バイクブロス・マガジンズ編集部)

このページの一番上へ

サイトのトップページへ

このページの一番下へ